(Source: airows)

しんどいときは、連絡とらない方がいい人にはとらないこと。これは結構大切なんだよ。逆に、ふと頭に浮かんだ人には、久しぶりでも、連絡とってみてね。必要な人とだけつながろう。無駄に消耗しないようにね。放電、漏電しないようにね。しんどいときは、充電できる人とつながろう。いなかったら、空をながめよう。星をながめよう。深呼吸しよう。
(via stilllll)

(Source: maudit)

the-gasoline-station:

by Mohammad Reza Domiri Ganji

Emam Mosque
Sheikh Lotfollah Mosque
Emam Mosque
Chehel Sotoun
Seyyed Mosque

(Source: artchipel)

k-nakama:

作家、林芙美子の家…。

二棟に分かれたようなかたちは、
戦時中、
建築出来る大きさに制限があったので、
苦肉の策として、
二棟に分けて許可をとり、
後で繋いだためなのだそうです…。

でも、
かえって、それがよかったみたい…。
生活の場と、仕事の場が、
合理的に分離出来ているし、
なによりも、
建物が大きくなり過ぎず、
庭の緑にもよく馴染んでいます…。

設計した山口文象は、
最先端の近代建築で知られた人で、
こうした和風のイメージは、
あまりなかったのではないか、
と思います…。

そういうわけで、
当時、この家も、
山口文象の作品として発表されることは、
なかったそうなのですが、
今では、
彼の代表作のひとつになってしまいました…。

ただ、
元々、大工の棟梁の家に生まれ、
家業を継ごうとしていた時期もあるみたいなので、
今となっては、代表作の一つと言われても、
彼のもう一つの面として、
別に違和感もありませんが…。

林芙美子は、こんなことを書いています…。

『まづ、
 家を建てるについての参考書を二百冊近く求めて、
 およその見当をつけるやうになり』…、
『一年あまり、設計図に就いてはねるだけねって貰った』…。
『家を建てる金が始めから用意されていたのではないので、
 かなり、あぶない橋を渡るやうなものだったが、
 生涯を住む家となれば、何よりも、
 愛らしい美しい家を造りたいと思った。
 まづ、参考書によって得た智識で、
 私はいい大工を探しあてたいと思ひ、
 紹介される大工の作品を何ヶ月か私はみてまわった』…。

大変なこだわりようだったみたいで、
それだけに、
大変なお気に入りでもあったみたいです…。
しかし、実は、
彼女がここで過ごしたのは、
亡くなるまでの、わずか10年間でした…。
ただ、その10年間こそは、
彼女が、
作家として最も充実した時期であったともに、
愛する家族にも囲まれた、
生涯で最も満ち足りた日々であったといいます…。

林芙美子の夫、緑敏氏は、
生前、こんなことを、家族に強く話し、
芙美子亡き後、およそ40年間、
この家を守り続けたのだそうです…。

『この家は私の生きている間だけは
 決して手を加えたり、
 変えたりしてはいけない。
 私の亡くなった後は
 どうしようとかまわないが』…。

このように愛されていた家は、
たとえ実用的な役割を終えたとしても、
そうそう簡単には、
取り壊すことなんて出来ませんよね…。

結局、主が亡くなった後、
現在に至るまで、
この家は、
こうして建ち続けているというわけです…。